経緯

・A社は、2003年に中国山東省で合法的に登記設立した日中合弁企業であり、A社の日本側株主と中国側株主は、それぞれ50%の持分を保有している。董事長は日本側株主が、総経理は中国側株主がそれぞれ任命派遣している。A社では近年赤字が続いており、日本側株主はA社からの撤退を決定し、持分譲渡について中国側株主と協議を行った。その後何度も協議交渉を重ねた結果、2018年5月、日中株主双方で持分譲渡について最終合意に至り、双方株主は「持分譲渡協議書」を締結した。また本件の持分譲渡に同意する董事会決議は、A社董事会の全メンバーの賛成により可決された。

・ところが、A社より工商登記機関への株主変更登記を手続きする際、工商登記機関からA社が提出した持分譲渡に同意する旨の董事会決議書上に署名のある董事と、工商登記機関に届出のある董事が一致しないことを指摘され、これでは董事会決議の効力は認められないとされた。株主変更登記の手続きは、まず当該董事の変更手続きを完了したうえでないとできないということであった。

・A社で工商登記機関への届出を行ってある董事情報は合弁会社設立時に届け出た董事のものであることを確認した。会社では設立以来、中国側株主、日本側株主両方がそれぞれ人員を変更したため董事の交替を2回行ったが、いずれについても工商登記機関への董事変更手続きを行っていなかった。工商登記上の董事となっていた当初のメンバーのうち、1名は中国側が任命派遣した董事ですでに離職しているうえ、この董事は中国側株主との紛争が原因で離職したため、本人の署名取得は難しい。また、もう1名の日本側が任命派遣した董事はすでに死去している。

・A社より工商登記機関に確認したところ、董事の変更手続きには株主による任命書のほか、元の董事による署名のある董事交替に関する董事会決議書の提出が必要とのことだが、上記2名の董事の署名取得は事実上不可能であり、董事変更の届出手続きと持分変更手続きが暗礁に乗り上げてしまい、A社は弊所弁護士に解決策を相談することとした。

案件対応の過程

(1)弁護士の見解

『会社登記管理条例』第37条の規定により、董事、監事、経理(マネージャー)に変更が生じた場合、会社登記を行った関係機関での届出が必要であるとされています。同条例第68条では、企業が本条例の規定の通りに関連の届出を行わない場合、企業登記機関より期限内に届け出るよう命じ、期限を過ぎても届け出ない場合には3万元以下の罰金を科すことが規定されています。

即ち、董事に変更が生じた場合の届出提出は法定要求となります。本件においては、早急に工商登記機関との意思疎通や折衝を行うことにより、元の董事からの署名が取得できないために董事変更の届出手続きができないという状況を解消し、董事変更の届出及び持分譲渡の変更登記手続きを前に進める必要があります。

(2)弁護士の対応

工商登記機関の窓口担当職員及びその上司と3度にわたる面談を行い、協議、折衝を行いました。

<第1回面談>

工商登記機関に元の董事が死亡/離職したという特殊な事情を説明し、工商登記機関に特別処理の計らいを依頼しました。当初、工商登記機関ではあくまで規則に則った事務対応をするのみで、元の董事による署名のない董事会決議書の処理は不可能であるという原則的立場をとっていました。弁護士より工商登記機関に対して法的見解について説明・弁論し、法律や規則の規定により、株主には董事を引き上げたり交替させる権利があり、工商登記機関の要求する、元の董事が署名した董事会決議書という書類の提出そのものが法的な根拠を欠くものであることを指摘し、この件は工商登記機関内部で再度検討されることとなりました。

<第2回面談>

弁護士が再び工商登記機関と折衝するとともに、弁護士の見解を書面で提出しました。工商登記機関による、元の董事の署名のある董事会決議書の提出要求は若干緩和され、また弁護士より、工商登記機関としての懸念を打ち消す意味で、A社より「状況説明」の正式書面を提出し、董事変更等に関する特殊な事情について説明することを提案しました。工商登記機関はこの状況説明の提案は機関内で検討可能であるとしました。

<第3回面談>

弁護士がA社の「状況説明」の書面を用意し、再度工商登記機関を訪問しました。工商登記機関では弁護士の意見とともに、状況説明を提出するという提案についても内部で検討が行われたということで、最終的に元の董事が署名した董事会決議書を提出せずに董事変更届出の手続きを行うことへの同意を表明した上で、A社及びA社の双方の株主に連名での「状況説明書」の発状が求められることとなりました。

このほか、董事を2回変更したことにより、本来の董事変更届出書類提出が2通、必要であったところ、工商登記機関との交渉を経て、董事変更届出書類の提出は1回のみで良いこととし、設立当初の董事から現在の董事へ直接変更とすることにも、工商登記機関による同意が得られました。

依頼者の満足ポイント

・元の董事による署名が取得できないことにより、董事変更手続きが行えないという問題点が解決されました。

・本来、2回行うべき董事変更手続きが1回に簡素化されたことで、董事変更届出とその後の株主変更登記がより迅速に手続きできました。

・董事変更届出手続きの問題の解決により、持分譲渡と株主変更登記の手続き上の障害もなくなり、日本側株主の合弁会社からの完全撤退が確保されました。

中国での類似の案件における問題点とアドバイス

日系企業の中国におけるコーポレートガバナンスの中で、董事を変更した際の工商機関への届出手続きを忘れることがあります。これは一見些細なことのようですが、会社の持分譲渡、会社の閉鎖、重要資産の譲渡といった董事会絡みの重大事項が発生したとき、届出通りの董事による署名がない董事会決議の効力の不備により、政府機関による手続きが止められたり、プロジェクトの全体的なスケジュールが遅れ、取引先との紛争が発生したり等、極めて大きな困難やリスクがもたらされることも少なくありません。

日本の本社にとって、現地法人の董事変更などの際の、中国政府機関への董事変更届などの情報は把握が難しいものですが、中国弁護士に依頼すれば、届出済の董事の最新情報は容易に入手できます。日本の本社で、今後董事を任命派遣、或いは交替させることがある時は、董事の変更手続きを弁護士に速やかに依頼されることをお勧めいたします。また、現地法人の従業員の雇用状況についても、遅滞なく必要手続きを行っているかの確認と監督を弁護士に依頼することにより、後の労務関係の不必要な問題の発生を回避することもできます。